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メッセージ

産学連携教育プラットフォーム − 就職への道

山内 薫

今から7年程前の年末のころ、私のオフィスに博士課程3年次のS君が訪ねてきた。彼が唐突に言い出したことは、ある企業の研究開発の職に就きたいということであった。私は、彼がアカデミアに残ることを希望していると思っていた。そして、彼のために博士研究員のポジションを用意していた。しかし、このような本人の希望を聞いた以上、その希望を実現するために努力をすることが指導教員としての私の役目である。私は早速、その企業の部長職の方に電話をお掛けした。

断られてしまうであろうことは百も承知であったが、驚いたことに、「S君が来たいと言ってくれているなら、すぐに対応をしたい」とのお返事をいただいた。その後、とんとん拍子に役員面接をしていただくことになり、S君は2週間後には、その企業の研究所の研究職として採用内定をいただいた。これまで、多くの学生の就職活動を見てきたが、この2週間という就職活動期間は、後にも先にも最短記録である。この記録が生まれた背景には、その部長の方が、我々が13年程前から進めてきた産学連携の教育プログラム「先端レーザー科学教育研究コンソーシアム (Consortium on Education and Research on Advanced Laser Science: CORAL)」を通じて、以前からS君をご存知であったということがある。

このCORALプログラムとは、光科学分野を担い、国際的に活躍する次世代の人材を育成することを目指して、私と東京大学大学院工学系研究科の五神真教授(現、東京大学総長)が中心となって進めた文部科学省特別教育研究経費(教育改革)事業である。その特徴は、理学系研究科と工学系研究科の連携体制のもとに構築された理工連携事業であること、大学間単位互換制度によって電気通信大学と慶應義塾大学の大学院学生が受講できる大学間連携事業であること、そして、先端光科学の分野において日本を代表する企業の研究者・技術者の方々に大学のキャンパスに来ていただいて、先端テクノロジーをふんだんに盛り込んだ実践的な実験実習をしていただくという産学連携事業であることにある。S君はCORALプログラムを修士課程在学時に受講し、博士課程の時にはTA(ティーチングアシスタント)としてCORALの実験実習を支援していた。そのため、その実験実習を担当しておられた企業の部長の方がS君を良く覚えていて下さったのである。

2007年のCORAL発足時に最初に参加を表明して下さったアイシン精機株式会社、キヤノン株式会社、浜松ホトニクス株式会社、三菱電機株式会社をはじめ、現在では20社を超える企業がCORALに参加企業として名を連ねて下さっている。先程のS君の他にも、このプログラムを受講したことや、TAとして参加したことがきっかけとなり、CORALの参加企業に就職が決まる大学院生が後を絶たない。このことは、企業の研究者・技術者の方々から直接指導を受けることが、学生たちに大きなメリットとなっていることを示している。学生たちは、このプログラムに参加することを通じて、企業の研究者・技術者の方々がどのような姿勢で先端的な研究開発に携わっておられるかを知ることができる。そして、それは学生たちが自分の将来の進路を思い描くときに大変良い参考になっている。

毎学期の終わりに、大学側の委員と企業側の委員が集まり、CORAL教務委員会を開催している。そこでは、1学期間の講義と実験実習の状況を報告し合い、プログラムを更に充実させるために意見交換を行っている。その議論を通じていつも思うことは、企業の研究者・技術者の方々が、大学の教育に関わることを非常にポジティブに捉えて下さっているということである。参加企業の研究者・技術者の方々は、CORALの講義と実験実習のために多くの時間を割いて準備をしてくださっている。そして、実験実習では大変熱心に学生を指導して下さっている。教務委員会やその後の意見交換会では、このCORALに参加することが、その企業の若手研究者・技術者にとって、良い経験となっているというご意見を度々伺っている。

この産学連携の教育プログラムが、大学院生にとっても、また参加企業側にとっても大きなメリットとなっていることが年を追うごとに明らかになってきた。しかし、一方で、私が所属する専攻において、エントリーシートを数多くの会社に出して就職活動をしたものの、なかなか内定を取れず、就職活動に非常に長い時間を費やす大学院生がいることも事実である。実際、就職活動のために、研究に取り組む時間が少なくなってしまって、期待した程の成果が挙げられないまま修士課程を修了せざるを得なくなるという大学院学生もいる。もし、CORAL型の産学連携教育の仕組みを、光科学・光技術に関わる分野だけでなく、化学、電気、情報、マテリアル、エネルギー、資源、バイオ、創薬、食品などの分野へと更に発展させ広げることができれば、大学院生の就職活動の形を大きく変える可能性があり、修士課程における研究の充実化にも大きく資するのではないかと考えている。

私は本年1月9日に日本化学会の産学交流事業である「第23回就職交流会」に私の所属する専攻の就職担当教員として出席した。この交流会では、前半に大学の就職担当教員が企業のブースを回り、後半に企業の人事担当の方が大学の学科・専攻のブースを回ることになっている。当日は、35社と35大学(49学科・専攻)の出席があり大変盛況であった。私はその内15社の方々とお話をすることができた。各企業での2021年度の募集人員や、各企業がどのような人材を求めているかなど、様々な情報を企業の人事担当の方々から伺うことができて大変有意義な会合であった。

この就職交流会の際、私から企業の人事担当の方々に、「我々の専攻では、大学院の修士課程の学生のために産学連携講義を開講することを検討しているが、そのシラバスを作る段階から参加していただけるか」という質問をした。この私からの質問に、ほとんどの方が極めてポジティブな反応を示して下さった。そして、具体的なプランができたところでぜひ声をかけて欲しいとのご意見をいただいた。それぞれの企業において、修士課程を修了する学生がこれだけは学んできてほしいという知識や技術があるはずである。この知識や技術を講義科目のシラバスに体系的に組み入れることができれば、学生たちは、その講義を受講することによって、基礎研究とその成果の産業界での展開について俯瞰的な視座を得ることができると期待される。

就職交流会での意見交換の中で、私の所属する学科・専攻の卒業生がその企業で活躍していることが話題となり話が弾むという場面が度々あった。そして、その時の会話がきっかけとなり、ある企業の責任ある立場の方が、その後、同窓生として私のオフィスを訪ねて下さった。その方は、久しぶりに大学のキャンパスを訪問されたことを大変喜ばれた。同じ学科を卒業した同窓生どうしであったので、我々は共通の知人の話や産学連携教育の話題で盛り上がった。そして、その方は、学生の就職だけでなく教育についても協力したいと仰って下さった。私は、同窓生のネットワークが大学側と企業側の人と人との結びつきを、より強固なものとしてくれることを確信した。

私は、産学連携型の教育事業を通じて「基礎科学に対する十分な理解を持ち産業界との連携に明確な視座を持つ若手人材」を育成することは、我が国の科学技術の更なる発展に資するものであると考えている。そして、この人材育成において、すでに社会で活躍している同窓生のネットワークを活用することができれば、産学連携型の人材育成の内容を更に充実したものとすることができると考えている。今、我々は、大学、企業、同窓会が連携して運営する教育プログラムである「産学連携教育プラットフォーム(仮称)」の構想を実現するために準備を進めているところである。

(令和2年9月3日)

このメッセージの内容は「化学と工業」誌、第73巻、2020年10月号、735 - 736ページに「論説:産学連携教育プラットフォーム − 就職への道」として掲載されている。